「オヤケアカハチ」という人物は、沖縄の波照間島で生まれその生誕にまつわるエピソードもいろいろありますが、子どもの時代から豪傑だといわれていたそうです。
成長した「オヤケアカハチ」は後ほど、海を越えて石垣島に渡り石垣島の大浜村に定住するようになり、石垣島の豪族として徐々に勢力を広げました。
また、「オヤケアカハチ」は、石垣島の豪族の妹を妻として迎えてその一族と義兄弟の契りを結んだといわれています。
「オヤケアカハチ」は、勢力を拡大する一方で宮古諸島の仲宗根豊見親とは対立することになり、最終的には首里の尚真王を巻き込み戦いを引き起こすことになりました。
これがいわゆるオヤケアカハチの乱と呼ばれているもので、「オヤケアカハチ」は首里王府に反旗を翻し蜂起しましたが、戦いに敗れ尚真王が派遣した征討軍3000人に鎮圧され、討ち取られたそうです。
石垣島には、いまでも「フルスト原遺跡」という、群雄割拠時代の英雄であるオヤケアカハチの居城跡といわれている国の史跡に指定されている遺跡が残っています。
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オヤケアカハチの由来
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